すべての指にしもやけができていた子ども時代と毒親の対応
子どもの頃は、毎年冬になると両手のすべての指にしもやけができていました。
指が赤紫になってぶくぶく膨れてしまうのですが、とにかく痛がゆかったですね。
指が腫れて曲げにくくなるので字も書きにくくなり、苦労しました。
学校の先生がわたしの指を見て驚き、両手でわたしの手を包んでマッサージしてくれたこともありました。
私が栄養失調気味だったこともあるのかもしれませんが、私ほどひどいしもやけの児童は、当時も今も見たことがありません。
軽いしもやけなら病院へは行かないと思いますが、重度のしもやけの場合は、普通の親なら治してあげようとしますけどね。
結論からいうと、私のしもやけはまったく改善しませんでした。
私は毎年冬になると、しもやけを痛がっていた記憶があるので、毒親は私の手の状態に毎年確実に気付いていたはずです。
しかし、しもやけで病院へ連れて行ってもらったのは子ども時代を通して1回のみで、しかも内科でした。
当時は子どもだったので、おかしいことに気づきませんでしたが、今考えるとなぜ皮膚科でなく内科?確実に専門外でしょう。
しもやけで内科へ行くとか、毒親はやることなすことズレているんですよね。
おそらく、家から一番近い病院が内科だったので、何も疑問を感じずにそこへ連れていったんでしょうけど。
母は統合失調症で思考力が子ども並みだったので、皮膚科に連れていくという考えを思いつきもしなかった可能性は高いですね。
「何かあれば近くの病院」という単純思考しかできないし、生活のすべてにおいて単純思考しかできないので、いつもどこかズレています。
内科では塗り薬をもらったのですが、それを全部使いきっても、しもやけはまったく改善しませんでした。
改善しないので、子どもながらにおかしいなとは思っていたんですが、やはり専門外の医者だったからでしょうか。
毒母は病院へ連れていってやったという事実に満足し、しもやけの問題は解決したと思っていたようです。
これも母特有の単純思考で、自分が何かしたり言ったりしたら、もうその問題は解決したと思い込むのです。ある意味幸せな人だと思います。
その後、毒親からしもやけの様子を尋ねられたことも、手の状態をチェックされたこともありません。
ちなみに、しもやけの状態をチェックされたのは、病院へ行く前1回のみでした(子ども時代を通して1回のみ)。
もし私に子どもがいて、当時の私と同程度のしもやけができていたら、仕事を早退してでも皮膚科に連れていきますけどね。
そもそも、普通はまず皮膚科へ行きますし、仮に内科へ行っても改善しない時点で皮膚科に切り替えるじゃないですか?
自分だったらこうするであろうことと、あまりにも毒親が正反対の行動をとっていたので、今さらながら改めて驚いてしまいます。
しかも、私の家庭は経済的にはどちらかというと裕福だったので、治療費をケチって病院に連れて行かなかったわけでもない。
毒母は私に対して「あんたが一番大切」「血がつながっているのはあんただけ。お父さんは他人だからどうでもいい」などと言うことがありましたが、その割には行動を見ると……という感じですね。