毒親育ちのブログ

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『わが家の母はビョーキです』に共感できなかった理由

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『わが家の母はビョーキです』は、統合失調症の母親を持つ作者が描いたエッセイ漫画です。

作者の母親は、作者が子どもの頃に統合失調症を発症し、ずっと闘病生活を送っています。

父親は家に帰ってきたと思ったらお金をせびるだけで、妻の病気には関心を示さなかったので、作者は頼れる人もおらず1人で病気の母に対応しなければなりませんでした。

ただ、母親が地域生活支援センターに通うようになってから、少しずつ変わっていきます。

母親本人も充実した毎日を送れるようになり、作者も生活に余裕ができ、またそれと同時に母親の病気(薬や症状など)にもっと踏み込んでいくようになり、医者との連携も取れるようになりました。

さらに、作者は母親の病気に理解のある男性と結婚し、旦那のサポートで親子ともども幸せな生活を送れるようになったという話です。

おおまかな感想

いろいろあったけど最後はハッピーエンドで、なんていうか、よかったねとしかいいようがないですね。

少なくとも、同じ統合失調症の母を持つ私としては、まったく共感できませんでした。

と言っても、別に批判しているわけではなくて、おそらくこの漫画で救われたような気持ちになった人もいると思います。

漫画に描かれている病気への向き合い方も、一般的には参考にはなるとは思います。

ただ、私の母親のケースには参考にならない&共感もできなかったというだけの話です。

共感できなかった理由

共感できなかった一番の理由としては、この作者の母親はまだまともな部分があって、完全に人格がおかしくなっているわけではないんですね。

たまにおかしくなって包丁を振り回すことはあるものの、我に返ると娘に対して申し訳ないという気持ちを持ち、謝罪しています。

なので、まだ話が通じる部分がありますし、人間として感情面で交流ができる部分もあります。

ここが、この本に共感できなかった一番の理由ですね。

私の母はこのように謝ってくれたことはただの一度もないですし、申し訳ないというそぶりを見せることさえ皆無でした。

2015年に起こった熊谷連続殺人事件もそうですが、人を傷つけることに何の良心の呵責も覚えない統合失調症患者が、稀にいるじゃないですか?

わたしは母に、あれと近いようなものを感じるんですよね。

母はさすがに他人を殺傷することはありませんでしたが、良心やモラル、共感能力が(おそらく病気が原因で脳にダメージが残ったため)異常なほど欠如していました。

 

私の母に限らず、発症をくり返して全面的に人格がおかしくなってしまった人間と、この本のようにまともな人間関係を構築することは不可能だと思います。

こちらがどれだけ何かをしても何の感謝もないのはもちろんですし、どれだけ我慢をしても報われません。

ただ意味もなく傷つけられるだけなので、逃げるという選択肢しかないです。

『わが家の母はビョーキです』の母親は、たまにおかしくなることはあっても我に返ったときはまともな人間なので、正直羨ましいと感じました。

もちろん、あまりにも救いのない内容の漫画だと、読んでいるほうもつらくなるので、あれくらい救いのある内容のほうが一般的なウケはいいだろうと思いますけど。

でも、私は別に救いを求めていたわけではなく、漫画を読んで共感したかっただけなので、個人的には微妙でした。

許せない領域を超えたときに作者がどう感じるか知りたい

誰にでも許せない領域というものがあると思います。

この作者の場合は、母親が「犬を殺した」と言ったときに、実際には母親は飼い犬を殺していなかったのですが、「初めて母親のことを心底憎いと思った」と描かれています。

もし実際に母親が犬を殺していたら、この作者ははたして母親と建設的な関係を築いていくことができたでしょうか?

実際には、統合失調症患者が家族の許せない領域を超えてしまうことは、よくあることだと思います。

そういうときの作者の気持ちや、今後患者にどう関わっていくか、それでも関わり続けていくのかというところが知りたいですね。