毒親育ちのブログ

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子どもの頃の気が狂いそうな感覚について

子どもの頃、よく気が狂いそうな感覚に陥っていました。

あまりにも母が異常で憎くてたまらなかったのですが、それを少しでも表に出してしまうと、反抗的だとか私がおかしいということになってしまうんですよね。

母からは虐待やネグレクトだけでなく、性的虐待のようなことまでされたのですが、それに対して嫌悪感を表すと、私がおかしいということにされます。

母は自分の異常性に気付いていないので、誰かから異常性を指摘されたり、批判されたり、嫌悪されたりすると、それを自分の問題ではなく相手の問題だと捉えるんですよね。

それで、怒ったり父に言いつけたりする。これが本当にしんどかったです。

母は自分が子どもを虐待しているという自覚がないので、私がなぜ自分を嫌っているのかわからないのです。

母は、自分がどれだけ虐待しても逆らわず、恨みにも思わず、気が向いたときに声をかけたら返事をしてくれるのが普通の子どもだと思っていたみたい。

そんなのは普通の子どもではなく、奴隷ですね。

 

私がとくに無理だったのは、暴力をふるって数時間もすると、なんの罪悪感もなく「風呂がわいたから入って」とか「~(食べ物)があるから」とか声をかけてくるんですよ。

罪悪感から気を使って声をかけるというわけではなく、まるで何事もなかったかのように、ケロッとしているんですよね。

母は自分がやったことを忘れているか、覚えていても大したことだと思っていないんです。自分が大したことだと思っていないから、子ども(私)も同じだと思っているみたい。

こっちは、やられたことに対して怒りや悲しみ、憎しみがおさまっていないわけです。

でも、それを態度に出すと、私がおかしいということにされる。だから、常に普通に接しないといけない。

これがものすごいストレスでした。

暴力をふるわれた人間に対して、なかなか普通にふるまえないですよ。自分の心を完全に殺して普通にふるまえる人は、大人でも少ないと思います。

 

母があまりにも普通に声をかけてくるので、私の心の中は疑問符だらけでした。

普通の人間であれば、自分の機嫌で子どもに暴力をふるったら、少しは子どもに対して罪悪感を感じるじゃないですか?

それが一切ない。ゼロなのです。

実際にそういう人間を目前にすると、あまりにも不思議すぎて、逆にこっちがおかしいのかな?という気持ちになります。

そういうことが日常的だったので、だんだん自分がおかしいような気さえしてくるんですよね。

本当に気が狂う一歩手前だったと思います。気が狂いそうになって、とっさにカッターで勉強机を切り刻んだこともありました。

母は最後まで(まだ生きていますが、もう関わっていないので)、自分が異常だとは気付いていなかったですね。

こちらが何を言っても、「そういうことを言うあんたがおかしい」となるので、いくらわかってもらおうとしても何の意味もない。

だから、もう関わるだけ時間の無駄なんですよね。

母の病気のせいなのか、それとも本来の性格のせいもあるのかわかりませんが、本当に疲れ果てました。

もっと早く見限ればよかったと思っています。