毒親育ちのブログ

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子どもが死にたいと言ったときの毒親の反応その2

毒親に死にたいと言ったときの反応その2について、書きたいと思います。

中学生の頃、精神的に限界になって、学校を休みたいと話したら、母は「絶対に行って!」と泣きそうな声で叫びました。

母は寝そべったまま、私と顔も合わさずに、条件反射のようにそう叫んでいました。

その様子が気の狂った人間のようで、気味が悪かったことを覚えています。

子どもが休みたいと言ったときに、いきなり大声で叫び出す親はあまりいないと思います。

私はその頃からリストカットをするようになっていて、すでに限界を越している状態だったんですね。

それで、母に「もう死にたい」と言ったのですが、母に「死にたくてもいいから行って!」と叫ばれ、それで話が終了になりました。

少なくとも母はそれで話が終わった、解決したと思っていて、私のほうを見もしませんでしたね。

 

子どもが死にたいと言うことでさえ、母はただの反抗としか感じていなかったと思います。

子どもが発する感情が、自分の好みの感情でなければ、子どもが悪いと決めつけます。

なぜ子どもがそういう感情になるのかというところを、理解しようとしてくれたことは一度もありませんね。

母にとっては、子どもがどれだけ精神的に苦しんでいようが、とにかく「世間」にとって恥ずかしくない「普通の子ども」でいてくれたら、それでよかったのです。

 

母には子どもの言葉を理解する理解力もなかったので、本当になぜ生んだのか不思議でたまりません。

人とコミュニケーションさえ取れない状態で、どうやって子どもとコミュニケーションを取るつもりだったんでしょうか?

世話もできないのにペットを飼って、結局は捨てる人間と同じで、そもそも育てることができないんですよね。

普通の人間だったら、本人にやる気があれば、能力的にペットの世話くらいはできると思いますが、母の場合は障がい者ですからね。

子どもの世話をする能力すらない。

生んでから能力がないとわかるわけではなく、生む前からわかりきっているのです。

食事を与えることはできても、コミュニケーションが成り立たない・成り立たせる気もないのにどうやって子育てをするつもりだったのか。

そういう状態で産まれると、子どもからしたら迷惑でしかないんですよね。

本人は「障がい者でも子どもを産む権利はある」とか思っているかもしれませんが、そういう主張ができるかどうかは障がいの程度にもよります。

母のような状態の場合、はっきり言って子どもを産む権利はなかったと思いますね。

なぜなら、親がそういう状態では、子どもの最低限の権利が守られるはずがないからです。

自分の権利を主張することで、子どもの権利を押しつぶしているということにも気付いていない。

 

とにかく疲れました。

今でも子どもの頃の疲れが取れていないというか、いまだに続いています。

疲れが全然取れなくて、朝起きた瞬間から疲れていますし、寝るときにベッドに横たわっていても疲れています。

疲れをとるために運動したり自炊したり、野菜が足りていないときは青汁を飲んだりしても、なぜか疲れが取れない。

これって何なんでしょうね?