毒親育ちのブログ

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宗教が大好きな母親

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母は自分というものがないからか、宗教が大好きです。

しかも、その宗教も定期的に変わるんですよね。

あるときは仏教だったり、あるときはキリスト教だったりします。

仏教とキリスト教ってけっこう違うじゃないですか?

たとえば死後の世界観1つとっても、仏教は輪廻転生の世界観ですが、キリスト教は天国か地獄へ行くという考え方です。

なので、なぜコロコロ信念を変えられるのか理解不能でしたね。

私が知っているだけでも、

仏教 ⇒ キリスト教 ⇒ 仏教 ⇒ キリスト教 ⇒ 仏教 ⇒ キリスト教

と5回も変遷しています。

 

仏教を信じているときは寺に修行や得度(=僧侶になるための出家の儀式)に行き、キリスト教を信じているときはキリスト教の作家の本を読みあさり、毎週教会へ行く。

キリスト教を信じているときは「人間は生まれながらに罪があるって、私にはどうも理解できん」とか言ってきましたが、知るか。

私に言わせれば、原罪というものは時の権力者が民衆をコントロールしやすくするために作り出した概念であり、それを後から聖書に組み込んで一般に広めただけにすぎませんね。

 

仏教やキリスト教もピンキリで、中にはあやしい新興宗教の一派もあるので、昔ながらの宗教といっても安全というわけではありません。

自分で勝手にやっているだけならまだしも、私にもあやしい宗教を押し付けようとしてきましたからね。本当に気持ちが悪い。

宗教に救いを求めるより自分の性格と病気を治すべき

母は人間関係も仕事もうまくいっていなかったのだと思います。

だから宗教に心のよりどころを求めていたのでしょう。

私から見ると心の問題にしか見えませんでした。

 

現実を好転させたいなら、現実的にできることってたくさんあるじゃないですか?

たとえば、母の場合は人格障害精神疾患を治すことです。

その努力を放棄しているのに、宗教で問題が解決するわけがありません。

すべての問題に目をつぶって、宗教をやっているだけで救われると思っているあたりが気持ち悪い。

まあ、宗教に大金を使うまではいっていなかったので、そういう意味ではまだましですけど。

なぜかキリストの教えは守らない母親

イエス・キリストは「汝の敵を愛せ」と教えました。

つまり、たとえ自分を攻撃してくる相手に対しても、愛情を持って接するということです。

母は人の批判・悪口を言うことが多かったですし、そもそも誰かを愛したことさえないと思いますね。

自分は子供を愛していると信じていたようですが、それは愛情ではなく執着・依存にすぎませんし。

 

なぜキリストの教えを守る気さえない人が、キリスト教を信仰してますと堂々と言えるのか、私には不思議でたまりませんね。

別にキリストの教えを守らないのは自由ですが、それならあえてキリスト教に入信する意味はないと思います。

自分というものがない

母は自分というものがないのか、もしくは知的な問題かもしれませんが、人に言われたらすぐに従う面がありました。

たとえば、買い物で店員に勧められたらすぐに買う、家のリフォームを勧められたらすぐにリフォームするなど。

いくら人から勧められても、決めるのは自分じゃないですか?

それなのに自分の決断でさえ人のせいにしていて、しょっちゅう「誰それに騙された」と言っていましたね。

だから、おそらく宗教の勧誘にもあっさり捕まるのだと思います。

自分がない人が宗教にはまる理由

自分がない人って、自分に自信もありませんし自己肯定感も低いです。

なので「これをやれば幸せになれますよ」「これをやれば神様から褒められますよ」と言われるとすぐにグラついてしまう。

自分のことを無価値だと思っているので、人に認められたいという願望がありますし、何もかもうまくいっていないので心のスキにつけこまれやすいんですよね。

だから宗教にはまってしまうのでしょう。

宗教仲間から(宗教をやっているというだけの理由で)自分を肯定されて、うれしいのだと思います。

毒母の死後は確実に地獄行き

どれだけ宗教を信じていても、毒母は確実に地獄行きだと思いますね。

数々の悪行を積み重ねてきたのに、信じるだけで救われるわけがありません。

死んでからは、きっちり今までの悪行をつぐなってほしいものです。