親がいないと同情されるのに毒親がいると同情されない謎
これって前から思っていたことなんですが、片親だったり両親がいなかったりすると、世間的には同情されますよね。
でも、毒親育ちの苦労は世間的にはあまり認知されていないし、同情もされないです。
最近になってようやく毒親の弊害が認知されてきましたが、それでもまだまだ理解されていないと感じます。
親がいない人は虐待をされることもなければ、暴言を吐かれることもない(里親が毒であれば別ですが)。
まるで天国じゃないですか?
親がいないと子供の頃は寂しいと思いますが、親がいるのに無視されるほうが寂しいし傷つきます。
もし親がいなかったら親を愛せていたと思う
子供の頃よく考えたのですが、もし母がいなかったら私は母を愛していたと思います。
もし最初からいなければ、いろいろと母親のことを想像できるじゃないですか?
こういうお母さんだったのかな?とかきっと優しくて愛情にあふれた人だったんだろうなとか。
一般的な母親のイメージ(愛情深い、優しい、思いやりがあるなど)に当てはめて、母親像を想像していたと思います。
そして、私はその想像の母親を愛することができたでしょう。
ところが実際の母は、一般的な母とはあまりにも違っていて、意地悪でヒステリックで、暴力的な精神異常者、おまけに他者に共感することは皆無です。
子供の頃は母を愛することができないのが悲しかったです。
親を愛することができるというだけで、親のいない人を羨ましく思いましたね。
親のいない人の他人の苦しみを甘く見ている感
親のいない人の中には、自分が一番苦労してきた感がすけて見える人がいます。
他人の苦しみを甘く見ているというか、そんなことで感があるというか。
そんな人はごく一部だとは思いますが、少なくとも私の父はそんな感じですね。
父は他者の苦しみを理解しないし、くだらないことだと思っています。
言葉の端から自分は苦労してきた感を出していましたし、親がいるだけありがたいと思え感がすごかった。
私から見たら親がいないのは幸せなことなので、なぜ自分が親がいないことで威張れるのかさっぱりわかりませんね。
しかも、父は以前私がカウンセリングに通っていたことさえ、くだらないと切り捨てました。
父から見ると、私は両親がそろっているのにも関わらず悲しみにかまけている、弱い人間にしか見えなかったのでしょう。
少なくとも父は両親から虐待されなかったんですから、私よりは幸せな子供時代だったと思いますけどね。
父本人は犯罪行為(虐待)を受けていないので、犯罪行為を受けてきた人間の苦しみは理解できないのでしょう。
理解できないだけならまだしも、人の苦しみをくだらないこととして見下している態度には、一種の傲慢さを感じます。
毒親に悩んでいても絶対に言えない
毒親に悩んでいても、世間的にはただ反抗しているだけとか、感謝の気持ちがないとか思われるだけなので絶対に言えませんね。
私も、ほとんど親の話はしないです。
親のことはカウンセラーに言うか、ブログに書くくらいですね。
親がいない人は、何も言わなくても親がいないという事実だけで同情されるので、何か納得できないものを感じます。
別に同情されたいと思っているわけではありませんよ?
ただ、毒親育ちは毒親のことを話すことさえできませんし、話したとしてもマイナスに取られることが多いので、そういう部分で理不尽だな~と思うのです。