子供が成長したら態度を変える親について考察
私が小学生になる頃までは、母の私のモノ扱いはとくにひどかったです。
話しかけても無視や生返事が多く、ウザいという感情を隠そうともしませんでした。
そして、子供は大人が何を話してもわからないと思っていたのか、私の目の前で平気で夫婦間のことを話していました。
父もよく子供の前で性的なことをほのめかしていましたが、母はそれ以上にひどかったです。
さすがに父が私のほうを気にすると、母は私のほうを見て「どうせわからないんだから」と言うのみ。
そのときはわからなくても記憶は残っているので、後になって意味がわかりキモいなと思います。
子供の前で、夫婦間の性事情を堂々と話すとかありえないわ。
私が小学校へ入学すると、母は少しずつ指示・命令以外で私に話しかけてくるようになりました。
私が話しかけても、あいかわらずウザそうな生返事ばかりでしたが、少なくとも自分が何か話したいことがあるときだけ関わってきました。
でも、母のコミュニケーションってなんか違うんですよね。
自分の言いたいことを一方的に言うだけで、私の話は絶対に聞かない。
よくて私の質問にひと言で答える程度です。
私は仲のよい母娘関係にあこがれを持っていました。
外で一緒に買い物をしたり、楽しそうに話している親子を見るたびにいいな~と思っていました。
私もそういうのがやりたくて自分からは努力して話そうとしましたが、母は私が5秒話したあたりで話をさえぎったり、話を奪ったりしてくるんですよね。
楽しい会話どころではなく、会話のキャッチボールさえできない母。
今思えば、私は無理なことを母に求めていたような気がします。
子供に興味がないのはもちろんのこと、それ以前に脳に異常があると思うので、おそらく母は努力しても子供の話を聞くことはできなかったでしょう。
私が大人になるにつれて、母が私に話しかけてくる度合いが高くなりましたが、私は不思議でたまりませんでした。
私は同じ人間なのに、外見が成長するだけで母の対応がこうも違うのかと。
今まで無視していた相手に(子供だから話が理解できないと適当にあしらっていた相手に)、急に話しかけるようになるのは変な話です。
話しかけられるこちらも、なぜ母の態度が変わったのか理解できなくてとまどいました。
母は、ときおり何時間も延々と話し続けてくることもありました。
私は一応相槌を打っていましたが、母が話している間に、私が言葉を発することはほぼありません。
しゃべろうとしても遮られますし、話もかみ合いません。
それでも、母はおかまいなしで話し続けます。
私が母の話を聞く意味はあるんだろうか?と疑問でしたね。
1人で話しているだけなら、壁や家具に向かって話し続けるのと変わりません。
話を聞くのが私である意味がないというか、まあ他に話を聞いてくれる人がいないから私のところに来るんでしょうけど。
一度、母の話に死ぬほど疲れてため息をついたところ、母に「どしたん?」と言われたことがあります。
疲れたというと一応そのときは話をやめてくれましたが、また翌日話しかけてきて延々と話し続けていました。
あんなに無視していたのに、今度はしゃべり攻撃してくるってどういうことなんでしょうか?
まだ電話でしゃべり攻撃されるなら、海外ドラマでも見ながら適当に相槌を打てますが、対面でやられると逃げ場がないので疲れます。
友達となら何時間話しても疲れませんが、それは会話が成り立っているからであって、一方的なしゃべりをただ聞くだけなのは疲れる。
子供は急に成長するものではなく、成長をつみ重ねるものじゃないですか?
内面の成長のしかたにも個性があり、成長の早い子もいれば遅い子もいる。
母はその根本的な事実がわかっていないんですよね。
母にとって、子供は概念でしかありません。
保育園児はこういうものという概念、小学生はこういうものという概念、中高校生はこういうものという概念、大学生はこういうものという概念。
母特有の、こういうものという概念があって、子供自身の成長ではなくその概念に合わせて態度を変えているだけなんですよね。
母が、私が小学生になったとたん話しかけてくるようになったのも、「保育園児は人の話を理解できない」という母独自の概念があったからにすぎません。
それは母の思い込みにすぎないのですが、母はそれを事実と思っていたのです。
で、それに合わせて子供を見る目や対応を変える。
こういう毒親は、私の母以外にも多いと思います。
そもそも、毒親は子供の内面に興味がなく知ろうともしないので、子供の成長を一般的な概念で判断することしかできません。
子どもはみんな同じペースで成長するとでも思っているのか、1人ひとりの個性とか、成長のペースとかいうものを理解できないし、知ろうともしない。
だから毒親は、自分の持っている概念に沿って子供への対応を変えることしかできないのです。
今までの親子の関係性や、自分が子供に対してしてきたことを一切無視し、概念に合わせて態度を変える様にはむしろ潔ささえ感じます。