毒親育ちのブログ

毒親に関するネタやエピソード、考察のブログです

母親との会話が成り立たないストレス

f:id:moudokunet:20201126175900j:plain


母と暮らしていたときに、一番困ったのが会話ですね。

会話って、生活の中で一番基本となる部分じゃないですか?

とくに就学前の子どもは、家の中では基本的に親といます。

だから、会話をしてもらえない、会話をしても話が通じないというのが本当にみじめでした。

母は完全に話が通じないわけではなく、おそらく気を使えばコミュ障ながらも話はできると思います。

ただ、自分の子ども相手に気を使うことに意義を見出せないようで、子どもの頃は無視と生返事、もしくはあからさまに嫌そうな返事が基本。

職場ではそれなりに他人に気を使って話をしていたんでしょうけど、自分の子どもとなるとゴミのような扱いになる。

 

結婚したら豹変して、相手をゴミのように扱い始める人間に似ていると思います。

そういう人は、最初から相手を幸せにすることには興味がなく、自分が相手を「所有」することだけに関心を持っているので、いったん手に入れると根本的な関心を失う。

母も子どものことを所有物のように思っていて、子どもを産むことが母にとってはゴールだったので、 私が生まれた時点で母の目的は達成されました。

私が存在しているだけで母の目的は達成されているので、私がいてくれるだけでよく、私の幸・不幸はどうでもよかったのだと思います。

「子どもがいてくれるだけでいい」と聞くと親の愛を感じますが、母の場合は、

「たとえ子どもが不幸でも、ましてや自分が子どもを不幸にする張本人でもかまわない。子どもは私の物であり、どこへも逃げられないのだから」

という意味にすぎません。

ただ、母は私という存在に対しては依存してきたので、気持ちが悪かったです。

依存するのにゴミのように扱うって、意味がわかりませんね。

 

たまに話してくれるときがあっても、母は相互の会話能力が異常なまでに低い。

母は、一方的に話し続ける能力は小学校の高学年レベルなので、一方的に話してくるときは聞いている分には違和感はありません。

しかし、相互に話す能力というのは小学生未満なので、意思の疎通ができないことが多々あります。

 

小学校1年生のときに、クラスメートと比べて、人の話を理解できない母のことを不思議に思ったことがあります。

小学校1年生のほうが、コミュニケーション能力においては母よりもはるかに上で、話が通じるのです。

なんていうか、母は思い込みで歪んだ解釈をしたり、決めつけたり、相手の話を奪ってひと言で返したりしてくるんですよね。

こちらがひと言で言えば理解できるんですが、こちらが何かを説明しようとすればするほど誤解が生じやすくなります。

こちらが言ったことを最後まで聞いて、言葉通りに理解するという、普通の人が行っていることができないのです。

母と話していると「なんでそうなる?」と思うことが多かったです。

 

母との会話で一番ましなパターンは、母が取ってつけたように感想を述べ、私の話を終了させるパターン。

その感想というかセリフが、感情がまるでこもっていなくて、まるでセリフを言わされているかのようにぎこちない。

子どもながらに、母の様子を変だと思いました。

まるで、心の通っていないロボットと話しているみたいなんです。

ましなときでさえそんな感じなので、いろんな意味で終わっていましたね。

精神疾患の影響で話せなくなっていた部分もあるのでしょうけど、福祉を頼るなどできることはなかったんでしょうか。