毒親育ちのブログ

毒親に関するネタやエピソード、考察のブログです

虐待親を許す必要がない理由

虐待親を許す必要はまったくないです。

普通は、社会で暴力事件を起こすと逮捕されるじゃないですか?

そして刑務所の中で罪をつぐないます。

しかし、虐待親は一部の人たちは別として、ほとんどがつぐなうべき罪をつぐなっていませんよね?

私を虐待した両親も逮捕されていませんし、何事もなかったかのように生活しています。

なぜ罪をつぐなっていない犯罪者を許す必要があるの?と逆に聞きたい。おかしな話ですよね?

私は両親が刑務所の中で罪をつぐない、土下座して私に謝罪し、かつ慰謝料として遺産をすべて私に残すなら許すつもりはあります。

ただ罪もつぐなわないし反省もしないのであれば、犯罪者としてしか見れませんし、この先も関わるつもりはありませんね。

親だからという理由で許すのはおかしい

親だからという理由で許すのはおかしいと思いますね。

たとえば、恋人へのDVって許されることではないじゃないですか?

「DV彼氏と付き合っています」と女性が公表したとしたら、友人や知人全員に別れろと言われるでしょう。

誰1人として「DV彼氏を許してあげろ」という人はいないと思います。

もしかしたらその彼氏は、普段はいろんなところにデートに連れていってくれたり、ご飯を作ってくれたりマッサージしてくれたり、いろいろと尽くしてくれるのかもしれませんよ?

でも、女性の友人や知人は、DV彼氏の優しい部分なんて考慮しませんよね?

DV彼氏というところだけ見て、別れるべきだと意見すると思います。

これが世間的な価値観なんですよ。

どれだけ他にいいところがあっても、暴力をふるったという時点でアウトなのです。

親も同じで、いくら優しいところがあっても、暴力は犯罪なのでその時点でアウトです。

なんで親だからといって許そうという気持ちになるのか、理解不能ですね。

許すことは親のためにもならない

許して関わってしまうと、親自身もこの世で反省する機会が完全になくなります。

虐待親は、子供が許しても感謝どころか「今でも仲良くしてくれているし、自分の子育ては間違っていなかった」と自信を持つだけでしょう。

毒親は反省することのほうが稀ですが、1%でも反省する機会をあげるために、金輪際関わらないほうが親のためにもなります。

親という名の犯罪者に、生きているうちに反省する機会をあげるという意味で、スッパリ縁を切る・憎み切るのが親孝行ではないでしょうか?

こちらが親を許して仲良くしてあげたら、1%の反省する機会でさえ消えるでしょう。

 

世間的には、親孝行というのは親と仲良くしたり、親のために何かをしてあげることかもしれませんが、それは普通の親の場合です。

毒親は普通の親ではないので、世間的な価値観は当てはまりません。

毒親の場合は、こちらが何かをしてあげるよりも、まずは人間として根本的に立ち直ってもらうのが本当の意味での親孝行にもなります。

自分の卑怯な行為を反省し、人間として立ち直ってもらうためには、親本人が気づかないといけない。

親本人に気づきを促す手段として、断固として関わらない・過去の虐待を指摘するなどの方法があります(といっても、虐待するような親の99%はこれらの方法をとっても自分の過ちを認めないので、期待は禁物です)。

無理やり虐待親を許しても意味がない

また、無理やり虐待親を許しても意味がありません。

たまに、虐待親を許しましたとか公言している人がいますが、無理やり感があって逆にかわいそうになります。

親に感謝するということは、世間的には褒められる価値観じゃないですか?

世間の価値観に沿うために、無理やり自分の心をだましているようにしか見えないんですよね。

 

たとえば、とあるYoutuberが「今は虐待親に感謝しています」とか動画で言っていたことがあります。

ところがその後、彼自身が相方への暴行で逮捕されましたからね。

私からすると、彼は虐待親を心からは許していなかったのだと思います。

まあ虐待親に感謝していると言ったのは、ファン向けのパフォーマンスじゃないですか?

彼は、動画内では常に怒りに満ちた表情をしていましたし(見る人が見ればわかると思います)、結局自分の中の虐待された怒りを消化できなくて、相方に怒りを発散させてしまったわけでしょ?

結局、虐待親を許せていなかったんですよ。

感情を無理やり抑え込めても、怒りや憎しみは抑えきれませんし、このように絶対に後で別のところで吹き出します。

虐待親を憎んでいい

ネットでブログのネタ収集をしていて気づいたのですが「親を許せない自分が嫌」という人が意外と多くてびっくりしました。

びっくりしすぎて目玉が飛び出そうになりましたね。押し戻したけど。

そもそも、許してくれと頼まれたわけでもないのに、なんで虐待親を許そうとしているんでしょうか?意味ありませんよね。

虐待の慰謝料をもらったわけでもないし、土下座されて許しを請われたわけでもないのに許す必要性が全然わかりません。

許したいのに許せなくて苦しんでいるとは、自分で不要な問題を作り出して苦しんでいるだけにしか見えません。

自己満足のために許したいのでしょうか?

聖人であれば虐待も許せるんでしょうけど、一般人が許すとか無理じゃないですか?

「親を許さないといけない」と、無理やり思い込んでいる人が多すぎるような気がします。

経験上、無理やり許そうとしてもよけい憎くなるだけなので逆効果ですね。

親を許したいと思っている人は、スパッとあきらめて憎み続けたほうが、まだ精神衛生上いいと思います。

親が憎いことは誰にも言う必要がない

親が憎いということは、たとえ親友にでも言う必要はありません。

親友が同じく虐待親育ちならわかってくれるでしょうけど、普通の親のもとに生まれてきた人にはこの憎しみは理解してもらえないと思いますね。

この世的な価値観として、親に感謝するのが善みたいなところがあるじゃないですか?

そのため、親が憎いと言うと引かれるかもしれないので、やめたほうがいいです。

 まとめ

虐待親を許す必要はまったくありません。

義務感から虐待親を許そうとしている人は、自己嫌悪に陥るだけなのでやめたほうがいいです。

別に憎くてよくないですか?

虐待の程度にもよるのかもしれませんが、それだけのことをされたんだったら憎んで当然ですし、むしろ憎まないほうがおかしいです。

私はそれだけのことをされたので虐待親を許すつもりはありませんし、許すのはあらゆる点で無意味だと思います。